長嶋茂雄氏 (読売ジャイアンツ監督)
 越智さんの過分なご紹介を頂きまして大変恐縮であります。今日会場の皆様方も、おそらく荒川さんと
いう野球人としてのまたスポーツマンとしての理解を十分熟知した方々ばかりだと私は確信を持っており
ます。
言うまでもなく私も荒川さんとはかつての古い九連覇時代にもご縁がありまして、世間的にはもう今や世
界的に伝説になっております王選手のフラミンゴ打法完成の経緯というものは、一番目の前で見ておりま
した。当時の精進努力は当然のことでありますけれども、王選手の荒川さんとのマンツーマンのあの指導
が私の野球人としての心の片隅に重く、またしかも強く残っている、そういう野球人の一人であります。
今回荒川さんが塾長という形で立ち上がっていただきまして、私どもの先輩がむしろ今の時期にはやや
遅し、という感もいたします。しかしこうやって新たな世紀を迎えたこの年に、塾長としてスポーツを推進す
るという役割の一端を担う形で発起人の名を連ねたことを私も大変光栄に思いますし、同時にまたできる
限りの協力をする環境を与えられましたら、はせ参じて荒川さんに協力したいと、そう思います。
 今こうやって王監督ともども現役という形でおりますし、いずれはユニフォームを脱ぐときもあるでしょう
けども、そういう時期になりましたら時間の許す限り協力していきたいとこう思っております。
 おそらく荒川さんも野球人生の中でもそろそろ晩年を迎えておると思います。おそらく70近いご年齢では
と。先程海部先生に年のことを大変不躾にお聞きしたのですが、おそらく一つや二つの差だろうと、お答
えをいただきました。どちらが先輩とは言いません。またどちらが後輩とも言っていただかなかったのです
が、荒川さんもこうやって表情を見ますと非常に温和な表情に変わっております。あのV9時代の指導方
針、そして指導理念というものはもう伝説になっておりますけれども、荒川さんのやはり一番素晴らしいこ
とは、こうやって70を迎えたこの年齢になっても、何といっても際立った技術力はもちろん当然であります
けれども、一つ挙げろと言えばやはり指導力、情熱です。その情熱の支えがやはり野球人の気力という
ものを非常に荒川さんがおのおの、当時のチームの担当コーチあたりを見ますと、おそらく際立ってまじ
めでした。その荒川さんが王監督をああやって世界のホームランバッターに育て、私もその頃隠れたお
こぼれとは言いませんけども、広島、名古屋、大阪、ことある毎に、荒川さんと接する機会が長いときに、
よく荒川さんの門を叩きながら、指導をやってもらいました。
 また荒川さんというのは、その場の指導力ではなく、目先にとらわれることなく、常に長期的なビジョンを
持ちながら、野球シーズン半年となりますともう秋口、晩秋近くのイメージ、そして春先のトータルを見なが
ら指導方針を立て、さらにですね、コーチの皆さん方から見れば、つい目先に振り回されて遠回りしてみ
たり斜めに入ってみたり色々するのですが、荒川さんは終始一貫、根気と指導力と、同時にまた選手は
非常にわがままですから、いいときはどんどんのりがいい、ちょっと体調の不調をとなえますとやや逃避
するというのはありますけれども、終始一貫変わらぬ愛情を持ってそして指導したという。
 おそらく僕の40年近いプロ野球生活の中でも素晴らしい指導者一人、長嶋挙げて見ろ、と言うならば、
もう猶予迷わず荒川博さんを僕は挙げたいと思います。もちろん、それを支えてくださっている、奥さんも
しばらくぶりでお目にかかりましたけれども、ご挨拶して非常に昔と変わらぬ、奥さまがきちっと隠れた
内助の功で支えてくださったということはこの目で幾度なく、何べんとなく見ております。荒川さんの家にも
時にはお伺いし、そして色々練習の終わった後にも暖かい食べ物、あるいは夏には冷たいジュース、
色々いただいたあのイメージがいまだにきちっと残っております。
 荒川さんも一つどうかこれから新たな塾、そして大勢の今日の皆さん方の暖かい賛同のもとにこの塾の
益々の隆盛とそしてスポーツという素晴らしいマインドを普及、啓蒙することに精進努力してもらえれば
大変ありがたく思っております。くれぐれもどうか一つ体調にはご自愛なさっていただいて、どうか一つ
頑張っていただきたいと陰ながら大変応援しております。取りも直さず、今日はおめでとうございました。
(2001年1月20日)