フリーディスカッション「『荒川野球塾』スタート」
司会:鈴木 悳夫氏(元千葉ロッテマリーンズコーチ)
 『荒川野球塾ホームページ』解説:山路 学氏(電気通信大学大学院博士課程)
講師(キーノート講義)
 荒川 博氏 (荒川博野球塾塾長・元読売ジャイアンツコーチ)
講師
 種茂 雅之氏 (元日本ハムファイターズコーチ)
 谷澤 健一氏 (元中日ドラゴンズ)
 高橋 直樹氏 (NHKプロ野球解説者)
 澁澤 良一氏 (元セントラル野球連盟事務局長)
鈴木:
 皆さんこんにちは。これからフリーディスカッションの司会をさせていただきます。日本ティーボール協会常任
理事の鈴木悳夫と申します。よろしくお願いします。(拍手)
 まず、2001年1月20日荒川博野球塾を発足させ、そのホームページが出来上がりました。その内容をスクリー
ン上で説明をしていただきます。山路さんお願いします。

山路:
 ただいまご紹介にあずかりました山路です。これから荒川博野球塾のホームページのご説明をさせていただ
きたいと思います。まず、先程吉村先生の方からご説明がありましたように、この度荒川博野球塾のホーム
ページを開設しました。先程示したように内容を示したプリントアウトがこの程度ございます。
(資料を見せながら)こちらの方は会場の皆様にご覧いただきたいので両端からまわしたいと思います。今回の
ホームページの目的といたしまして、荒川先生の教育哲学、指導哲学、卓越した打撃理論や指導理論の素晴
らしさを、世界に情報として流そうという企画を立ち上げ、そのプロジェクトの一環としてホームページを開設し
ました。荒川博野球塾の活動内容といたしましては、ティーボール・打撃指導教室の紹介、高齢者や知的障害
者、身体障害者へのティーボール・打撃指導教室、全日本代表のソフトボール選手に対する打撃指導、若手
研究者に対する経済的支援等を軸に展開しております。ここで、実際のホームページとしてご覧いただきたいと
思います。(スクリーンに映し出される)その中では、荒川先生のプロフィールですとか、荒川博野球塾発足
パーティーの内容や写真も掲載してあります。さらには、貴重な資料でございます、荒川先生のジャイアンツ
V9時代に、王選手・現ダイエーホークス監督と二人三脚で歩んだホームラン世界記録誕生までの「コーチ日記」
というものを3年分ですが、かなり充実した内容の濃いものを掲載させていただいております。是非読んでいた
だきたいものでございます。荒川博塾長の最近の指導活動として、上井草で行われた関東健康福祉スマイル
ティーボール選手権大会の様子を写真として載せてあります。さらに「ホームランを打つために」では、王選手
の打撃の連続写真を用いて、構え、グリップの位置、スタンス等について荒川先生が解説を加えたものを掲載
させていただいています。まさにホームランを打つためのバイブル的内容です。また、このサイトでは、全世界
へ情報を流すために、英語のページも用意させていただいております。実際にこのホームページを見ていただ
ければ分かると思いますが、これからの展望といたしましてこういった会議における荒川先生のコメントや関係
者の方々のコメントをできるだけ載せていきたいと考えています。また、全国で開催された野球塾や各種大会
の報告、英文ページの充実を図っていきたいと思っております。
 皆さんに今日の資料としてお渡しした中に荒川博野球塾のURLが書かれたものが入っていると思います。
是非そちらをご覧いただいて、ホームページの方にアクセスいただければ幸いです。以上で報告を終わりま す。
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鈴木:
 ありがとうございました。次にキーノート講義というところで、実際に荒川博さんに語っていただきたいと思い
ます。
 荒川さんの簡単なプロフィールをご紹介いたします。昭和28年毎日オリオンズ入団、毎日オリオンズというの
は千葉ロッテマリーンズの前進です。昭和37年31歳の若さで巨人軍のバッティングコーチに就任。868本のホー
ムランを打った世界の王選手を育てました。昭和49年から3年間ヤクルトの監督をしておられ、現在は日本
ティーボール協会副会長として、底辺拡大としてティーボール普及に人生をかけ、全国を回り頑張っていらっ
しゃいます。今日はプロ野球人生約50年半世紀に渡って野球界に貢献されそのお返しという考えの下に塾を
設立したと考えます。その塾への考え、思いを熱く語っていただきます。(拍手)

荒川:
 今何回も同じことを話すのは嫌なもので、もう聞く人は何十回も同じことを聞かされているので飽きると思い
ますので、今日は特別に40年前の服を着てきました。(笑)(拍手)
 まあ31歳でジャイアンツのコーチになったんですけども、実際の契約は30歳です。ということは、いかに野球が
下手だったか。私の弟子達は皆野球がうまくて、そして十何年、二十何年と現役をやってきています。私は
たったの9年。今、旧ロッテって言いましたが、毎日新聞に入ったのは、毎日新聞の社長が早稲田大学で監督
にしてやる、と言われたからです。でも、社長が途中で首になっちゃった。(笑)それで夢が敗れました。しかし、
そのお陰でもってジャイアンツに入れた、毎日から読売に入ったんだから大変なもんだよ、こりゃ。読売に入れ
たことで長嶋とも出会えた。
 この洋服をなぜ長嶋が私に作ってくれたか。昭和38年長嶋は三冠王を取り損ねた。なぜ三冠王を取り損ねた
か。その前の年、私は王を教えてるんですよね。昭和37年に初めて一本足打法を創って、王が38本のホーム
ランを打って、二冠を取った。その次の年、長嶋が私のところに習いに来てるんですよね。今まで、私は長嶋に
あまり教えた事がない、と人に言っていたんです。長嶋は、あまりスランプをしなかった。ということは、私が
教える前から超一流だった。その時分の王と長嶋は天と地の差があったので、長嶋には本当に教えることがな
かった。それでも彼は、王に負けてはいかん、と思ったのか私のところへよく来てくれました。私も長嶋の家へよ
く行きました。そうすると、こんな小さな小僧がいて、裸足で部屋に上がったり下りたりするんですよ。それが
一茂です。(笑)長嶋は王に負けないために私のところにやってきたんです。ですけれども、その時ちょうど運
良く王が怠けてくれたんです。王のことを皆は努力の人とかまじめな人と言います。しかし、それはまじめになっ
ただけのことです。はじめは結構な怠け者だったんです。長嶋が三冠、三冠と騒がれ始めて、王は私に頭を
下げてきました。私と3年間怠けないという約束をしておきながら怠けていたのに、ホームランだけは取らせて
下さい、と言って私に頭を下げてきました。その年は、王が40本ホームランを打ちました。長嶋は37本で三冠王
を取り損ねました。 
   その年の12月、長嶋が私に「1日荒川さんをお借りしてもいいですか」と言って、私が服を作っている店に
連れて行って、この服を私に買ってくれました。「ありがとうございました。お陰でいい成績が取れました」そうな
んですよ。長嶋は、それまでホームランを30本以上打ったことがないのに、私が教えたことで、今までより10本
以上多くホームランを打ってしまったんです。今日この服を見て、私も随分教えたなと思いました。(笑)去年も
私の荒川塾の会にも来てくれて、私も弟子の一人ですと言ってくれました。
 今日は、教えるとか叱るという話が出ましたけれども、僕は叱るということはあまりしません。なぜかというと
相手が知らないんだから教えてやればいいんですよ。子供に叱るなんてとんでもないことです。子供は知らない
んだから教えてやらなくちゃ分からないんです。野球も同じなんですよ。川上さんが名コーチになれなかった。
球が止まって見えるといって打った人が何で教えられなかったか。川上さんは柴田に「お前こんなことぐらいも
分からないのか!」と言っちゃったよ。柴田傷ついたね。(笑)川上さんはすぐこういうことをしちゃうんだよね。
「お前高校で何やってきた」「こんなことも分からないのか」と言っちゃうんだよ。神様にそう言われるとショックが
でっかいんですよ、私はそれを見て「ああこの人は打つ神様であって、教える神様ではないな」と思いました。
でも、監督としては本当に名監督で、あれだけの監督はもう絶対と言っていいほど出ません。何しろ9連覇です
からね。想像できない。アメリカだってそんな人はいない。それで監督を辞めたのは54歳ですよ。54歳というと
当時は年をとって辞めたと思われますが、今50歳は若手ですよ。何で今、こうやって年寄りばかりが出てきて
いるのかなと思います。長嶋が辞めてくれてよかったと思いましたね。もうちょっと若いのが出てこないとね。
野村が辞めてなおよかった。(笑)
 ともかく、そういうことで長嶋にこの服を貰って今まで弟子からこんないいものを貰ったことがなかった。本当に
いいものをくれてありがたいと思う。これを着る度にあの時代を思い出します。当時、長嶋が26か27歳、私が
32歳で、あまり年は離れていないのにもかかわらず、素直に習ってくれたという、長嶋の習い方のうまさを感じ
ますね。私があいつの家まで行っちゃうんだから。向こうも来てくれたけど、私が行くことの方が多かったのかも
しれない。そのぐらい習い方がうまかった。特に遠征中なんていうのは、私の部屋で4時から15分間やる。普通
は1人5分ぐらいで終わってしまうんですよ。長嶋は、私の部屋に来る前に一汗かいてから来るんですよね。
部屋に来たらいきなりバットが振れるんですよ。これが習い方のうまさなんですよ。私の部屋に来てから体操
されたら、まいっちゃいますよ。長嶋は天才でいながら繊細なんでしょうかね。
 まあ、今日はそう言うことで長嶋もすごい習い方がうまかったということ。また、王が怠け者だった時もあった、
と言う事をお知らせして、本題、こうやってホームページまで組んでいただいて本当に私は光栄の至りです。
私のような者に皆さん方がこうやって面倒を見て下さって。これだったらあと10年わけないなと思って。あと10年
やれば世界中でティーボールが盛んになるんじゃないかなと思い、まだまだやる気にさせていただいております。
 今日皆さん方に、私がティーボールをなぜ教えないといけないのか、盛んにしなければならないのか、と言い
ますと、サッカーもいい、いろいろなスポーツもいいんです。ただ、今まで学校でボール投げをしてはいけない、
公園でボール投げをしてはいけない、とか禁止ばかりですよね。これじゃあ小さい時からボール遊びができない
んです。そういう点で、今年からティーボールが学校でできるというのはありがたいと思いました。これをお手伝
いしないというのは野球選手の恥だと思いました。そういうことで、野球塾を作っていただき、私の野球塾の
師範全員がプロ野球選手であり、全員がプロコーチです。でも、まだまだ若い人もいる。コーチの仕方の行き届
かない人もいると思います。
 また、怒るようなことをさせないように、コーチは、子供達を楽しくさせなくてはいけないのです。私が1950年に
ハワイに行った時に「お前はどこを遊ぶ?」と聞かれて「どこも遊ばねぇ」と、答えたらそれは「お前はどこを守
る?」という意味でした。「守る」ことを「遊ぶ」って言うんですよ。ライトを遊ぶっていうと、どうもぶらぶらしている
ようでライトは遊べないんですよね。(笑)やはり楽しむものなんですよ。しかめっ面でさせないように、苦しい
思いをさせないように、早稲田大学の女子ソフトボール部みたいに負けてもいいですよ。そのうち勝つ時が来
ます。後輩が勝ってくれて伝統というものができるわけですよ。私も先日、早稲田実業の中等部へ教えに行き
ました。どうせ大したことない、と思っていたら1、2年生だけで80名いました。たまげました。あれだけ勉強をする
生徒がこんなに野球をしているんですよ。こりゃ、教えてやらなければと思いました。早実を軸にして、野球塾
から何人かコーチを派遣して、高校、大学の野球部を強くしてやろうと思います。高校は教えられなくても中学を
教えることはできるわけだから、全国のそういう底辺を強化するには、少なくとも50人、100人、師範にして私達が
指導して送り出したいという夢を持っています。人間というのは最初から不景気だとか暗い事を言ってはいけま
せん。その点今日は、初っ端から、会長からホワイトハウスの件が出っちゃって、アフガンまで出っちゃったから
まあ、ティーボールだけはいつでも明るく、夢を持って、そしてお子さんに接したいと思います。どうかそういう
意味において、皆さん方は指導員でありますから、皆さん方に、そして是非子供達にティーボールが好きになっ
てもらえるように指導して下さい。ですから、皆さん方どうぞ私どもを使って、地域を発展させていきましょう。
今日は、次の人が待っているので、この程度にして、私の話を終わらせていただきます。どうもありがとうござい
ました。(拍手)
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鈴木:
 ありがとうございました。これからの時間は日本野球界の最高峰であるプロ野球で数多くの修羅場を精神的
に、技術的に、またある時は頭を使って切り抜けてものすごい結果をだした御三方に荒川博野球塾に対して
1人ずつエールを送っていただきたいと思います。
 まず、種茂さんに上がって貰います。ここで種茂さんのプロフィールをご紹介します。昭和36年東映フライヤー
ズ入団。昭和37年日本シリーズで阪神に勝ち、日本一になった時のMVPです。昭和47年阪急ブレーブスに
移籍。引退後は古巣日本ハムファイターズで2軍監督を歴任。その後、オリックスブルーウェーブのスカウトを
なされましたが、現在はティーボールの普及のために活躍されています。それでは種茂さんよろしくお願いし
ます。(拍手)

種茂:
 種茂です。こんな壇上で1人で話す機会はめったにないので非常に足が震えております。
 現役時代は全く髭を伸ばすつもりはありませんでした。私は若い時から一言居士と言われまして「あいつは文
句が多い。」と言われました。水戸黄門が変わりまして「よし俺もご意見番になってやろう。」と思いまして髭を伸
ばしたところ、去年1年間水戸黄門には髭がありませんでした。(笑)今年また髭が生え始めたので心強く思って
おります。
 野球塾を全面的に応援するのは当たり前です。野球でお世話になりましたから。日本ティーボール協会に
確実に携わってきたのは2年前からでして、40年間の野球生活が終わりましたので、お世話になっております。
今日、皆さん方の中で学校の先生、すみませんが手を挙げて貰えますか?ありがとうございます。小学校
3、4年生からティーボールが授業に入るようになりました。この2年間ずっとティーボールを小中学生に教える
立場にありました。しかし、ただ1人も学校の先生が来ないんです。せっかくカリキュラムの中に入ったのに、
学校の先生、特に体育の指導員の方が勉強する姿勢が見えないのが非常に残念です。
 僕はいっぺん皆さんの前で言わせていただきたいと思っていたので言わせていただきます。これもご意見番
として聞いて下さい。やはり生徒を教えるためには自分が好きにならなきゃその種目を取り上げて授業をしない
と思うんですよね。体育の先生、小学校の先生は最近女性の方が多いと聞いておりますが、授業で野球型の
スポーツを取り上げてくれるか疑問なんです。これが1つ心残りなんですけれども。もう1ついいますと、今ティー
ボールの各都道府県ないし市町村でやっております生涯学習スポーツですが、その先生方がなかなか居られ
ないんですよね。いわゆる町の人達に預けちゃってるわけです。1つ気になる新聞記事がありましたので読ま
せていただきます。
 これは今日のために2ヶ月も胸の中に閉まっておきました。「運動部は校外活動に」9割の中学校校長が希望
しています。これは完全なアンケート調査で400人の中学校長が答えています。ちょっと読ませていただきます。
放課後のスポーツ部活動をめぐり、半数近い中学校長が学校外の社会教育への早期移行を望んでいるという
ことが中学校長会の調査で分かった。部活動のあり方をテーマに校長指導部が400校の意見を集約、分析した
ところすぐにでも実現して欲しい:7割、早い時期に実現:4割、徐々に実現して欲しいが:39%。これを全部加え
ると9割の校長が学校ではやりたくないという希望を持っています。
 その理由の一つに、地域社会で子供を育てることが大切という考えがあります。子供を育てるのは、確かに
地域社会であり親ですが、それなら学校は勉強だけを教えればいいのでしょうか。もう1つの理由は学校が、
多くの活動を抱え込み過ぎているということです。本当にそうなのでしょうか。学校の先生達が時間外にどれだ
けの活動を持っているか私は分かりませんが、昨年の暮に世田谷区の4校ぐらいの中学の野球部を合同で
指導する機会がありました。その時も4週行って学校の先生方は1人も来ないんです。最後に行ったある中学校
では渋々というか学校の仕事を持ちながら私に付き合ってくれました。でも片手間なんです。これは、野球部を
強くするというよりも、その生徒のやりたいことをやっていないという感じがするんです。今はこんな時代なの
かな、と思いましたがちょっとおかしいとも感じました。
 次に、これもテレビの話なんですが、昨年30人31脚競走の全国大会がありました。昨年は中国から少林寺
拳法のチームが来て優勝しました。体育の専門のような学校ですから当たり前です。しかし、他の都道府県の
予選から決勝に出て来るまでの学校の先生方とその生徒の関わり合いを見ていると涙が出てきました。それは
子供に対してそういうふうに付き合ってやれば子供はついてくると思わせるものでした。
 それを先ほどの中学校長の考え方でやってしまえば、教育の専門家ではないので分かりませんが、学級崩壊
は当たり前だと思います。そういうことも含めて、こういう考え方が全国に広がっていくようなら、ちょっと危険な
ことがあるのではないかと思います。
 各都道府県、市町村の生涯学習スポーツをやっていただいている皆さんには非常に苦労が多いと思います。
私も去年、そういう人の集まりにも行きました。それから講師もさせていただきました。でもやってみるともの
すごく夢中になってくれるんです。それは、私がプロ野球選手だったということもあるのかもしれませんが、
非常に興味を持ってくれます。こういう興味を持たせるのは、学校の先生の方で、今後、初級からで結構ですの
で、どんどん誘って下さい。もっともっと、小学校の体育の教科の中にどんどん取り入れてもらえるように協力
して下さい。よろしくお願いします。(拍手)
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鈴木:
 ありがとうございました。
 次に、昭和45年中日ドラゴンズ入団。新人王、首位打者2回、また昭和60年2000本安打達成。現役引退後は
西武ライオンズバッティングコーチを歴任され、現在は野球解説で活躍されております。またティーボールの
普及のためにも指導をいただいております。谷澤健一さん。同じテーマでお願いします。よろしくどうぞ。

谷澤:
 みなさんこんにちは。昨今ですね。メジャーリーグを見ていまして、非常に憤慨する面が多いんですね。
それはなぜかと言うと、殊、打撃に関してなんですが形、型、そういうものが大幅に崩れてきているんじゃないか
と思うんですよね。やはり、こうレベルの低下と言いますか、これでいいのかなという思いで観戦している部分が
多々ございます。
 なぜ、こういう話を冒頭でするかと申しますと、やはりプロ野球の世界、私は17年おりましたけれども、形とか
型というのは何年経っても大事なことではないかなと思うんですよね。やはり大きく言って、基本だと思うんです
よね。それで荒川さんのバッティング理論、一本足打法含めてですね。私はずっと長年見てきましたけれども
これほど形、型にこだわった指導者は日本であるいは世界で荒川さん1人じゃないかなという気がしてならない
ですね。
 野球が明治時代1873年に日本に初めて伝わってきて、学生達が真っ先に野球をやり始めた。野球という
言葉はなかったんですけれども、学生達がそのベースボールをやり始めたんです。その時になぜ、学生達が
このベースボールというスポーツに没頭したか、ということは、武士道の精神が非常に含まれているんじゃない
かと思うんですよね。言葉を見ても、デッドボール=死球ですとか無死ですとか二死とかそういう「死」という言語
が入ってきている。こういうものに学生達が随分精神的なものを感じて、そこに入り込んで行ったんじゃないかと
思うんですよね。それから何年も経って当時早稲田大学の野球部が、あの日露戦争の最中にも関わらず、アメ
リカ遠征を試みたり、またそのプロ野球が昭和11年に起こりましたけれども、その前に学生野球の出身者達が
選ばれた人達がアメリカに遠征して百数十ゲームのゲームを向こうの大リーグ、またはセミプロチームと試合を
やる、という歴史が刻まれていったわけですよね。非常にそういう中で、まあ算数の授業じゃないですけれども
分子と分母があるならば、分母の部分、精神的な面は非常に培われてきたんじゃないか、と私は思うんですね。
荒川さんも合気道ですとかそういう日本古来の武道に対して非常に精通しておられますけれども、やはり、
そういうものを日本人が好んで外来スポーツにもあてはめていったわけです。その精神的な面を日本人という
のは非常に世界のどの民族よりも多分、随分凌駕していったんじゃないかと思うんですけれども。アメリカに
行ったり、日本でも技術的なことを切磋琢磨して指導者としてやっている人も数多いですけれども、やはり形、
型という面に関してはいくらいい成績を残した方でも、指導においてはなかなかできでいないと思います。
ですから、アマチュアスポーツの人達に、また指導者の人達にその部分を理論的に教えることが未だにできて
いないんじゃないかと思うんですね。やはり、この野球塾というのは、そういう面をどんどん広げて理解してもらう
機会だと思うんです。つまり、私も含めて現役時代、感性、感覚的な面でやっていた部分が多いんですけれども、
それではやはり子供達は動かないと思います。今こそ、荒川さんを中心にして、基本の形、型を皆さんと共に
コミュニケーションを取りながら、これからのこのティーボールを発展することこそ、日本が発信基地としてやる
ことこそが、大きくグローバルな面につながって行くであろうと私は感じております。ちょっと堅い話になりました
けれども私はいつもティーボールに参加するたびに、そういう気持ちで参加させてもらっています。今後とも
どうぞよろしくお願いします。どうもありがとうございました。(拍手)
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鈴木:
 ありがとうございました。
 次に、昭和44年東映フライヤーズ入団。昭和48年には日拓ホームス時代ノーヒットノーランを達成。
現役引退後はNHKメジャーリーグを中心にTV解説者として活躍されています。今年からは野球人口の底辺
拡大のためティーボールの指導にも参加していただきたいと思っております。また、僕と一緒で、今年から
できたマスターズリーグには、エースとして活躍されています。高橋直樹さんを紹介します。

高橋:
 高橋です。今、紹介があったようにマスターズリーグというお年寄りの野球ができまして、投げてはおります。
けれども、ティーボールを見ていると先程も海部先生とか皆さんも言っておりますしたが、逆にマスターリーグで
やったら面白いのではないかと感じましたね。それくらい投げるということに関しては、年齢を見ますと、非常に
苦しいものがありますね。私が子供の頃はピッチャーを目指していましたが、バッティングの方が楽しかったで
すね。少年野球に行きましても、最後にバッティング練習をさせますと、みんなの顔が明るくなりますからね。
このバッティングを大いにやって欲しいと思います。
 私は現在、メジャーリーグの解説をしております。今年は、あのテロ事件の影響で、1週間ほどメジャーリーグ
の放送が遅れまして、日本のスポーツのない狭間にワールドシリーズの放送が7回来ました。ダイヤモンドバッ
クスとニューヨークヤンキースの戦いですけれど、常にホームチームが勝つ、という楽しい放送ができました。
みんなに「おまえはいい仕事してるな」と言われました。やはり、野球はアメリカから始まった訳ですから、
何と言っても野球はパワーですね。ピッチャーは、ダイヤモンドバックスが優勝しましたから先に出しますが、
シリングとランディ・ジョンソンという素晴らしい左右のピッチャーがおりまして、ヤンキースには、クレメンスと
抑えのリベラの2人、この4人の対決ような形で力対力のプレイが随分見られました。おかげで、野球の素晴ら
しさを堪能できました。バッティングももちろんパワーですね。今年はイチローがメジャーに行ってくれて、日本の
野球のバッターがこれほど素晴らしいものであると思い知らしてくれました。しかし、ピッチャーの場合、野茂を
はじめ伊良部といった、力のあるピッチャー、特にローテーションピッチャーでないと通用しないということもあり
ます。日本のピッチャーの場合、コントロ−ルもいいですし、球のキレ、変化球が素晴らしいということで通用す
ることはある程度分かっています。今年もヤクルトの石井投手が行きますが、彼は左という利点を生かしてやっ
てくれると思います。でも、ただ力で押そうというピッチングはどうしてもパワー全盛期のメジャーリーグには通用
しないかもしれません。ただ日本のピッチャーは調子の悪い時でも、うまく球を散らすコツを持っているピッチャ
ーが、向こうでも通用するのではないかと思っています。また、今年はバッターでは田口が行きます。去年は
新庄が行ったので、皆さんは新庄がやれるなら田口もやれるんじゃないかなという考えは捨てて欲しいですね。
彼は明るさでメジャーに溶け込めたんです。メジャーの野球に溶け込める雰囲気を持った選手は随分います。
田口選手の行くカージナルスというチームは、足の速い選手を集める球団として有名です。機動力を使って
真っ赤なユニホームを泥だらけにしながら野球に打ち込む。それがカージナルスの野球ですから、田口は一番
本人に合ったチームを選んだと思います。ですから、彼は素晴らしい活躍ができると思います。
 私達は、現在プロに入って頑張っていますけれども、最初からコントロールのいいピッチャーはいません。
プロに入った選手の中で、8割型はバッターでもピッチャーの経験はあります。ピッチャーが、いかにコントロー
ルするのが難しいというのが分かってバッターになった人もいると思います。逆にピッチャーから見ると、バッ
ティングを教わることによって、ピッチングの幅が広がるようになります。どこでも打てるというバッターいます
よね。でも、どこでも打てる訳ではないんですよね。バッティングを教わると、自分のポイントにうまくタイミングが
合わないと打てない、というのが分かる。そう思ってから、自分達も「ああ、バッターも意外とミスが多いんだな」
と分かって、今度は思い切り投げられるようになるんです。だから、僕みたいにおとなしくて引っ込み思案で度胸
のないピッチャーでも、投げているうちに段々勝てるコツを覚えて野球の楽しさといいますか、技術が伸びるの
だと思います。ですから、まずピッチャーになるためにもバットを振るということが大事だと思います。それには、
何と言ってもティーボールが有効です。確かにボールは動いてきませんが、ボールを捕らえるポイントというのが
しっかり持てるんですね。それは逆に、ピッチャーの視点に立つと、ボールを捕らえるポイントとは、ボールを
外すというポイント、ということになります。ですから、バッティングを知ることによって、ピッチングはよりうまく
なると僕は思っていますので、荒川塾でしっかりとバッティング技術、ミートポイントを身に付けて下さい。
そうすれば必ず、ピッチャーはボールを外すコツを覚えることとなります。
 ですから皆さん、技術的なものだけでなく、精神的なものも含めて、大いにこの塾で勉強してもらって更に上を
目指して欲しいと思います。特にお子さんには、身体を健康に保ちながら、技術を身につけることも大事なこと
ですから、これも大いに頑張って欲しいと思います。今日の話はこれで終わります。またこの後、ディスカッション
がありますのでよろしくお願いします。(拍手)
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鈴木:
 ありがとうございました。ではここで、特別ゲストを紹介します。本日、日本ティーボール協会常任理事、
また2000年までセントラルリーグ事務局長をされていました渋沢良一さんがお越しです。
 渋沢さんの簡単なプロフィールを紹介します。仙台二高時代甲子園を目指した球児であり大学時代も野球を
続けたおかげで東京新聞社に入社。スポーツライターを目指し、神宮では長嶋さんの8本のホームラン、また
甲子園では、早実の初優勝も取材しました。1983年セントラルリーグ野球連盟に事務局長として入社され、
2000年12月31日まで活躍されました。退職後も野球に携わり、先程紹介されました日本ティーボール協会
常務理事、またプロ野球OB会が主体となって活動している社団法人全国野球振興会でも副理事長として
活動されています。
それでは荒川塾にエールを送っていただきたいと思っています。よろしくお願いします。

渋沢:
 渋沢でございます。荒川先生、吉村先生、その他役員の皆様のご推挙により常任理事という重責を負うことに
なりました。一生懸命やっているところでございます。ご紹介ありましたように、私もセントラルリーグを2000年で
辞めることに決めておりましたので、その後、故郷宮城県のためになんとか野球で恩返しをしようかというふうに
考えました。そこで、NPO法人が国会の審議になるという時に、NPO法人でバックアップする団体を立ち上げよ
うとことで書類申請を出してきました。それで、特定非営利活動法人ですね。それに「野球振興ふるさと宮城
プロ野球選手OB会」という28文字から成る長ったらしい名前の会を作り上げました。野球という言葉を入れな
いと宮城県の生活文化課はなかなか許可してくれないんですね。「入れなくてもいいんですけど、入れてくれ
ませんか」と言うんです。やはり、野球振興という言葉がないとこういう法人はダメなんです。それで書類申請い
たしまして、認証されたのが1月頃分かりました。
 私は仙台二高なんです。二高で野球をやっておりました。そういう関係でこれからもしかしたら母校に行って
何か話をすることがあるかもしれないと思いまして、全日本野球協会の方へアマチュア復帰申請というのを出
しました。皆さんは分からないと思うんですが、ここにいる皆さんはれっきとしたプロ野球のOB選手なんです。
私にも、実は規約が適用されます。私は、アマチュア側の規約によりまして、背広を着たれっきとしたプロなん
です。ただプロと見なされるのです。 
 したがって勝手なことができないのです。それでアマチュア側に経歴書を出したんです。それでアマチュア復帰
申請を出した。そしたら経歴書の一番最後にふるさと宮城プロ野球選手OB会理事長就任予定も書いておいた
のです。実際なっていたんですが書いておいた。そうしたら差し渡しになった。つまりプロ野球という名前がある
とダメなんだそうです。こんな馬鹿なプロとアマの関係なんです。それで腹が立ちまして、そんなんだったらもう
こんなものいらない、返してくれ、それでもうアマチュア復帰なんかしないと言ったんです。そしたら「まあそう
言わないで」とですね、「終わりのNPO理事長就任を消してくれ」と言うんです。そんな形式ばった関係なんです。
それで、できるだけ表面に出ないでくれという注文が付きまして、それでも何があるか分かりませんから、渋々
許可書をいただいた訳です。これで晴れてアマチュアになりましたから、私は、アマチュアとして母校でもどこに
でも行ける訳です。この方達は、高校野球だけは絶対にダメなんです。私は、在職時に職権を利用しジャイアン
ツやヤクルトにいろいろお願いいたしまして、練習用に中古の、野球部の場合年間30ダースぐらいずつもらって
仙台二高と大学の方に毎年送ってもらってたんです。そうしたらこれが皆から喜ばれたんですが、徐々に妙な
声が出てきまて、この行為はアマチュア違反だというんです。これは驚きましたけど実際に書いてあるんです。
要するにプロ野球の関係者が物品を球団から送ってもらうのですから、当然送り主は球団になります。ジャイア
ンツやスワローズが、そうするとそれは違反だと言うんです。
 その場合は、渋沢個人が一旦貰って、私の名前で送ればいいと言うんです。非常にギクシャクした社会で
ありまして、そこで私は今ご紹介ありましたようにプロ野球のOBで作っている全国野球振興の副理事長という
ことで、できるかできないかわかりませんがお手伝いしています。この前の総会の時にいろいろなプロ野球OB
から、何とか高校の野球部との関係を円満にできないか、という声がものすごく多かった。種茂さんもそうなん
ですが、皆待望しているんですよ。自分の母校でなぜ野球を教えることができないのか。ということで私は、
昔の新聞記者に戻りまして、この問題は僕が徹底的に取材して、これまでの経緯、現在の状況、将来どうなる
ということをリポートして文章にして皆さんにお配りしましょう。現在取材をしていますが、全くダメです。今後5年
間ぐらいは全く状況が動きません。プロ野球選手が母校で教えることができない。グラウンドに入っちゃいけな
いんですよ。それでこういう馬鹿な問答をしているんです。ここにグラウンドとの間に金網があるとします。
金網のこっち側にいて練習を見ることはできるのに金網から中に入ったら違反なんですよ。
 今後ティーボールが小学校の正課になりまして、木々の根っこのように全国に広がっていって、野球型スポー
ツの非常に大きな底辺の拡大に繋がると思うんです。そして、少子化が進行していますが、ティーボールを習っ
て育った選手が高校に行く頃には何とかしてこういう障害を取り払って本当に技術のある人が正しい野球を
子供達に教えることができればいいなと念願しているんですよ。
 したがって、最後に申し上げたいことは、野球塾にはこれだけの豪勢なスタッフが揃っている今のような現状
は、ティーボールをこれからやろうとする、あるいは指導なさろうとする先生方は、最高に幸せな人だと思う。
というのは何の制限もなく、プロの選手が来て教えてくれる、どこに行っても関係ない。こんな幸せな時期は、
吉村先生からもティーボール元年という言葉がでましたが、まさしくティーボールに関係する皆さんにとっては
大変に幸せな元年であろうと思います。
 ですから、一番有利な点を生かすとすれば、プロ野球のOBをどんどんティーボール協会の仲間にして、プロ
野球の見識のある方々に、どんどん指導をお願いすればいいんです。こんな馬鹿なプロ野球と高校野球との
関係は全くありません。中学でも自由自在でありません。高校はダメ。大学、社会人は制限付きですよ。こんな
野球の組織は世界で日本だけですよ。長嶋親子は球場で話してはいけない。そんな馬鹿なことをやっている
わけですよ。
 これで終わりにしますけど、皆さんはプロの方です。そして私は背広の元プロなんです。私だけがアマチュア
復帰をしているから高校野球に行って話をすることができますが、あまり表面に出ないようにという条件付き
なんです。社会の現状はそういうことであります。繰り返しになりますが、このハッピーな元年を思い切りご利用
になって、どんどん地方から声を、手を挙げて下さい。それで、荒川塾長からもありましたように、50人でも100人
でも野球塾の師範を用意していただきましょう。師範の先生方から、本当の正しい野球、そういうものを身に
付けられるような指導をしていただきたいと思います。短い時間ですが以上で終わります。(拍手)
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鈴木:
 ありがとうございました。
 講師の皆さん本当にありがとうございました。ここで1つ皆様にお願いがあります。こうして荒川博野球塾が
発足しました。皆様遠慮なさらずどんどん利用していただきたいと思います。問い合わせは事務局の方で結構
ですから、どんどん利用して下さい。
 それではこれから、講師の方々に質問がありましたらどうぞ。挙手して下さい。遠慮しないで下さい。それでは
どうぞ。

参加者1:
 清瀬市から参りました体育指導員の土屋と申します。清瀬市では学校の統合がありまして、ひとつの体育館
なり校庭を利用して何かできないかと考えている段階なんです。そこで是非、ティーボールを採り入れたいと
私自身が思っているんですが、野球塾をセッティングの場合、例えば何月何日にしたいという時になどどれくら
い前からお願いすれば可能なのでしょうか。

鈴木:
 これはちょっと事務局の方に質問しないと。申し込みの期限は1ヶ月くらい前なら必ず受けられると思います。

参加者1:
 分かりました。ありがとうございます。

荒川:
 例えば、今の場合は学校ですけれど、今度は大きな大会がありますよね。地方でそういう時にはやはり
2ヶ月、3ヶ月前の方がいいと思います。

種茂:
 こちらの方からちょっとアナウンスさせていただきたいんですけども。今日は、以前所属しておりましたオリック
スから2人来ております。ちょっと立って下さい。右が田中君で昨年まで現役でやっておりました。今年から球団
職員をやっております。初めての仕事だけど隣の人によく教わって下さいね。プロ野球の中ではティーボールを
応援しているチームもあるんです。中日も多分そうだと思います。

谷澤:
 そうですね。今日も中日OBの上川君が来ています。ちょっと起立して下さい。(拍手)

上川:
 ティーボールというのはプロ野球のキャンプでもよく使うんですよ。苦手なコースを打つ練習とかで、よく使うん
ですけれども、すごく小さい子供には野球を始める準備のような感じです。今、子供が小学校6年生ぐらいなん
ですけれども小さい時から野球をやっています。3、4年生ぐらいだとまだまだピッチャーがストライクを投げるの
は、非常に難しいんですよね。ボール、ボールになって試合にならない。すごいボール球を打ちにいくことがよく
ありますよね。ティーボールは、野球をはじめる前の段階として非常にいいのではないかと思います。皆さん、
小さな子供達にその楽しさを教え、広めて行っていただきたいと思います。どうぞよろしくお願いします。(拍手)

鈴木:
 はい、どうぞ。

参加者2:
 シドニーの近くの小学校チームと北広島の知的障害者のチームと試合をする機会がありました。あちらの
方はソフトボールと金属バット、ヘルメットという用具を使ってティーボールをプレイしてました。同じティーボール
なのに、そこまで形や取り組み方が違うのはおかしいと思いました。今、全世界へティーボールを広げようとして
いるとき、ルールや用具をどのように統一していくのかということが、非常に重要なコンセプトになっていくと思い
ます。
 そして、私は「ティーボール北の甲子園大会」というのを企画参加しています。今回第8回目ということで、札幌
ドームを借り、全国大会を開催しようと活動をしています。今回のような大きな大会を運営するとなると、多額の
運営賃金がかかります。その費用を企業、行政からどう支援していただくのかが、大きな問題となります。この
問題に関して協会の方から大会をバックアップするという形でなんらかのご支援いただければ、将来ティーボー
ルの普及に大きくつながるのではないかと思います。(拍手)

鈴木:
 どうもありがとうございました。他にございませんか。どうぞ。

参加者3:
 大阪の吉川です。高橋さんすみません。子供が肩を傷めないような基本的な投げ方を教えて下さい。

高橋:
 基本的投げ方ですか。ピッチャーに限らずに教えます。一番コンパクトに投げるのはキャッチャーですよね。
キャッチャーはボールを取ってからすぐ、ちょうど耳のあたりぐらいからですかね、まっすぐに引いてきます。
投げる瞬間には円の運動を描いている訳ですよね。これだと肩は壊しません。直線的に引いたものを直線的
に投げると、やはり押し出すように投げますから肩を壊すんです。だから、キャッチャーも投げる時は小さな円を
描く感じでコントロールよく投げるんですね。ピッチャーは、マウンドの高い位置からキャッチャーが座っている
ところに投げるんで、高い所から低い所に投げる時に割りとストレスが肩にかかります。これを力で投げようと
するとどうしても無理がかかります。特にリストを効かせようとすると、肘を伸ばしてしまいますから、肘を目標に
しっかりと向ける練習ですね。そうすると、ボールを持った時に肘から引き降ろすと、続いて自然な位置まで
肘が上がってきます。ボールを持って体から離さずに体に添って、降ろしながら肘を肩の高さに上げて肘が
円を描くようなイメージでボールを投げると、肩を壊さず、そしてコントロールもよくなりますし、スピードもつき
ます。というのは、腕で投げますと肩の運動、腕の回転というのは遅いですね。肘の回転は非常に速いですか
ら肘の回転をイメージしながらボールを投げると素早く投げられますし、コントロールもつきますし、肩も壊さな
い。スピードも出ます。体から大きく離して、手で操作すると肩を壊します。肘で操作するイメージでボールを
投げますと小さな力で大きな力が出ます。是非皆さんのチームに呼んで下さい。そこで丁寧に教えますから。
(拍手)

鈴木:
 もっと質問を受け付けたいんですけれども、次のディスカッションがありますので、こので終わらせていただき
ます。本当にありがとうございました。
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*これは第9回日本ティーボールセミナー(平成14年1月19日:早稲田大学国際会議場)のプログラムの一部です。